【ネタバレ感想】『シューマッハ』F1世界選手権の王座を7回獲得したシューマッハの軌跡

こんにちは、つけものなすです。

今回は、F1世界選手権の王座を7回獲得したミハエル・シューマッハのドキュメンタリー映画『シューマッハ』(21年)について書きたいと思います。

最後は悲しかったです。

 

シューマッハ

幼少期

『シューマッハ』(原題:Schumacher)は、2021年9月15日から配信開始されたNetflixオリジナル・ドキュメンタリーです。上映時間は1時間52分。

本作は、ドイツの元F1レーサーのミハエル・シューマッハのドキュメンタリーです。シューマッハは、F1の世界選手権の王座(ドライバーズチャンピオンとも言い、年間13戦を行い最も多くポイントを獲得した選手に贈られるタイトル)を7回獲得するなど唯一無二の選手です。

ちなみに、F1世界選手権を7回獲得した選手はシューマッハとルイス・ハミルトンだけです(2021年現在)。

ミハエル・シューマッハは、1969年1月3日にドイツで生まれました。4歳の時に、バイクや車などの乗り物が好きな父親が購入した原付バイクのエンジンをペダルカーに付けてもらい、遊んでいました。ちなみに、僕の父親はバイク屋を営んでいましたが、僕はバイクに全く興味をもたなかったです。

6~7歳の頃に、父親はレーシングカート場の経営を始めました。ミハエルは、父親の仕事を手伝い、車のテスト走行もしました。8~9歳の頃には、弟の面倒を一人で見ており、しっかり者の長男でした。

両親は働き詰めで、当時の状況についてミハエルの弟であるラルフは「裕福じゃなかったけど幸せだった」と話します。

ミハエルは安い部品を使ってレースに出場し、何度も優勝しました。ケルペンで行われたジュニアカート選手権では、80人以上の選手が参加し、ミハエルはドイツ代表として参加すると予選などの大会参加費用がかかるため、参加選手がいないルクセンブルクの選手として参加します。

この頃から世界大会に出場する目標を立て、目標を叶えるために努力しています。幼い頃からプロ意識が高いことが分かります。ミハエルはジュニアカート選手権で優勝を果たします。

1983年のケルペンの選手権に参加したF1世界王者(98年、99年)のミカ・ハッキネンは「過去のレースの中でも強烈な印象として残っている。彼のドライビングスタイルは驚異的だった」と話します。

高速シケイン
ハッキネンが高速シケインについて話す場面があります。シケインとは「マシンの速度を落とす目的でつくられた鋭い角度のS字コーナー」のことです。

 

王者への階段

ミハエルは、フォーミュラカーに乗ってレースに参加することを夢見ていましたが、経済的に困難で諦めていました。そんな中、1988年にウィリー・ウェーバーはミハエルの運転技術を評価し、チームドライバーの契約を交わします。

ミハエルはレースの成績を残していくと、どんどん有名人になっていきます。「スター扱いしないでくれ」と振る舞い、大勢の人が群がるのを嫌がっていました。

 

ネタバレ感想

ネタバレ注意
ここから先は物語の結末にも触れているのでネタバレ注意です。

アイルトン・セナ

ミハエルが成績を残す中、当時のF1界のスターはブラジルのアイルトン・セナでした。セナは、1991年に3度目のF1世界選手権の王座を獲得しています。ミハエルの部屋には、セナのポスターが飾られていたそうです。憧れの的です。

1992年7月5日、フランス・マニクールのGPにて、ミハエルとアイルトンが参加するレースが開幕します。アイルトンはシューマッハに接触され車体が破損し、レース一周目でリタイアとなってしまいます。お互い揉めている様子が映像として残っています。

ミハエルは、F1界のスターであるアイルトンを追い抜いていき、次々とGPを優勝していきます。

1994年5月1日、イタリアのイモラ。セナとミハエルは争う中、セナの車体が壁に激突して重傷を負います。ヘリコプターで病院へ運ばれていきますが、事故発生から4時間後、セナは亡くなりました。まだ34歳です。

事故を目の当たりにしたミハエルは、自分もいつか事故を起こすのではないかと不安になります。当時は夜中に目が覚め、3時間くらいしか寝られなかったと話します。

 

デイモン・ヒル

ミハエルは、イングランド出身のデイモン・ヒルと争うようになります。1994年11月13日、オーストラリア・アデレード。世界王者が決まるレースが開幕します。ミハエルは世界王者になったことが一度もありません。ミハエルとデイモンは、僅か1ポイント差です。

レースはミハエルがリードしますが、デイモンが後ろから迫ってきます。ミハエルはデイモンの車体に接触します。二人の車体は破損したため、ミハエルとデイモンはリタイアとなります。その結果、ポイントをリードしていたミハエルが世界王者に輝きます。

 

フェラーリ

1995年、コリーナと結婚します。結婚の決め手についてコリーナは、「彼の誕生日に夕食を作った時に、彼だけが皿洗いを手伝ってくれた」と話します。

1996年、念願のF1世界選手権を獲得したシューマッハは、フェラーリへ加入します。元フェラーリの会長であるルカ・ディ・モンテゼーモロは「フェラーリのドライバーの重圧は大きい。単にF1カーを操る以上の責任が伴う」と話します。

フェラーリでレースに挑みますが、車体の不良でリタイアとなります。ミハエルはメカニックのメンバーと共に車の調整を夜まで行い、チーム一丸となってレースに挑みます。1996年6月2日スペイン・バルセロナのGPで、見事優勝を果たします。

ミハエルはフェラーリに加入して2年目のシーズンに、カナダ出身のジャック・ヴィルヌーヴと争います。ミハエルはヴィルヌーヴに追い抜かれそうになると、故意にヴィルヌーヴの車体に接触します。

FIA(国際自動車連盟)は故意に接触した件について処分を下し、その年のF1選手権を失格としました。ミハエルはマスコミから非難されます。ミハエルは家族と共に休養を取ります。

ミハエルは、チームメイトに対して気配りも怠らず、仲間全員の妻の名前まで知っているほどで、休憩時間には仲間とサッカーをするなど、コミュニケーションを欠かせませんでした。ミハエルはチームの士気を上げ、再び世界王者を目指します。

 

再び

ライバルとして立ちはだかるのは、フィンランド出身のミカ・ハッキネンです。1998年、ミハエルはフェラーリに加入して3年が経ちましたが、レース中に車体が接触してリタイアするなど、思うような結果が出せません。

1999年7月11日、イギリス・シルバーストーン。レース中にミハエルの車体は壁に激突し、右足の脛骨と腓骨の骨折を負います。

2000年、フェラーリに加入して5年目。グランプリの優勝回数は41回を達成します。この数字は歴代2位の記録で、セナと並びました。9月10日に開かれた記者会見では、記者から「セナと並びましたね」と言われると、ミハエルは泣き崩れてしまいます。

 

2000年10月8日、日本の鈴鹿(三重県)。ミハエルの4度目の王者決定戦です。ライバルのハッキネンがリードしますが、ミハエルが追い抜かして一位でゴールします。ついに世界選手権の王座を獲得します。

その後はリラックスした様子でレースに望み、世界選手権の王座を7回獲得しました。2006年シーズン限りで引退しますが、2010年に復帰を果たします。

 

事故

2013年12月29日、ミハエルは息子のミックとフランスのスキー場でスキーを楽しんでいましたが、雪山を滑走中に転倒して頭を強く打ち、外傷性脳損傷と診断され、昏睡状態となります。現在では意識は回復しているそうですが、意思疎通は難しいとのことです。

ミハエルの妻や子供たちがインタビューに答えるのですが、聞いているだけで胸がいっぱいになります。事故によって全てが変わってしまいましたが、ミハエルの意思は子供たちに受け継がれています。

 

感想

シューマッハについては名前しか知らず、F1のすごい功績を残した人と漠然とした内容しか知らなかったので、最後は衝撃を受けました。

子供たちのインタビューを聞いているだけで泣けてきます。非常に良く出来たドキュメンタリーだと思います。

 

まとめ

素晴らしいドキュメンタリーでした。

最後まで読んでいただき、ありがとうございます。

 

参考文献

Schumacher (2021) – IMDb

https://www.imdb.com/title/tt10322274/?ref_=ttrel_rel_tt

 

WRC用語集 | WRC – FIA 世界ラリー選手権 | WRC | TOYOTA GAZOO Racing | TOYOTA GAZOO Racing

https://toyotagazooracing.com/jp/wrc/glossary/

 

シケイン とは? | F1用語集 | Formula1-Data

https://formula1-data.com/glossary/circuit/facility/chicane