【考察】『天気の子』は大人たちの贖罪を描いた若者に優しい映画である

天気の子
出典:天気の子

「地球規模で迷惑なバカップル」と言われている新海誠監督の『天気の子』(19年)ですが、僕は最後の結末を見ると大人たちの贖罪のように見えました。

今回は、『天気の子』がなぜ大人たちの贖罪のように見えたかについて書きたいと思います。

天気の子

ネタバレ注意
ここから先は物語の結末にも触れているのでネタバレ注意です。

フラッシュ・フォワード

『天気の子』の結末は、人柱となった陽菜を助けるため帆高が廃ビルの屋上にある鳥居をくぐり、遠い遥か上空にいる陽菜を見つけます。元の世界に戻ったら再び東京は異常気象に見舞われてしまうと恐れている陽菜に「天気なんて狂ったままでいいんだ!」と帆高は叫び、二人で大地へ飛び込みます。飛び込んだ後に映る東京は大洪水に見舞われていました。

飛び込む場面は、『2001年宇宙の旅』の冒頭で400万年を一瞬でジャンプするフラッシュ・フォワードを思い出しました。「美しく青きドナウ」の優雅な曲に合わせ、猿人が骨を武器に戦いを覚え遂に核兵器を生み出したという恐ろしい場面です。『天気の子』はRADWIMPS「グランドエスケープ」の軽快なポップな曲に合わせて飛び込み、一瞬で東京は大洪水に。その背景には何百人の人が亡くなったことでしょう。

 

若者の重荷

帆高は異常気象を防ぐことよりも陽菜を助ける選択をします。

新海誠監督はウェザーニュースのインタビューで地球の異常気象について「そんな世界をつくってしまった僕たち大人には間違いなく責任の一端がある。でも気象という現象はあまりに大きすぎて、個人としてはどうしても不安感や無力感に右往左往するだけになってしまう。でも、これからの人生を生きていく若い世代の人たちまで、大人の抱える憂鬱を引き受ける必要はないと思うんです。」と話しています。

地球規模で迷惑なバカップルの話にも見えますが、これは「大人たちが解決できなかった問題に振り回されず自由に生きろ」というメッセージにも見えました。

異常気象に関わらず、少子高齢化など様々な社会問題を抱えています。それを全て若者に押し付けるのはあまりにも重荷です。日本で圧倒的に人口の多い高齢者はちょっと先のことを考えればいいだけかもしれませんが(失礼な言い方ですが…)、若者は未来のことを考えて生きていかなければいけません。自分の未来、これから生まれてくる子供の未来を。明日の夕飯を考えるだけで精一杯なのに。

「昔はいい時代だった」とよく言われますが、「何でこんな時代になってしまったんだよ」と聞き返したいです。

 

若者の貧しさ

『天気の子』は若者の貧しさも描いています。

公式パンフレットには「帆高と陽菜も貧しいというのは、『君の名は。』とは大きく違う要素かもしれませんね。社会全体があの頃とは違っていて、日本は明確に貧しくなってきている。特に若い子にはお金が回らなくなっていて、それが当たり前になってきています。」と新海誠監督が話しています。

『天気の子』で若者の貧しさを象徴しているのは、帆高と陽菜がご馳走として食べるジャンクフードです。ご馳走といえば焼肉とかすき焼きを想像しますが、帆高と陽菜はコンビニやファーストフードで買ったものをご馳走と呼んでいます。安くてそれなりに美味しいもので満たされてしまうという貧しさの象徴です。若者のストレスなんてジャンクフード片手にアルコール9%キメて課金すれば終いでしょと。

車離れとか〇〇離れとよく言われますが、一番離れているのはお金です。

 

まとめ

『天気の子』は若者の背中を押す若者に優しい映画だと思います。こんだけ若者に対して真摯に向き合っている映画はないと思います。

これを書いている時は若者として見られるでしょうが、何年後には大人になってしまいます。若者も大人に変わります。大人になった若者はどうするのか。考える時が近づいてきました。

 

参考文献

『天気の子』新海誠監督単独インタビュー 「僕たちの心は空につながっている」

https://weathernews.jp/s/topics/201907/240055/